February 13, 2012

実は、近かった人


彼は私の事は知らない。

その知らせを聞いたのは、
先日旅をしていたフランスはブルゴーニュ地方に滞在していた早朝だった。
瞬時に頭の中が真っ白になった。
そして、最後に彼に会った時の光景がすぐさま頭の中に蘇ってきた。
去年の10月の終わり頃、渋谷のアップリンクで行われていた、
ケネス・アンガーの映画のトークショー。
司会は勿論、彼と、滝本誠さん。
トークショーが終わり、彼と滝本さんが丁度、外の歩道に立ってらっしゃって、
私はとてもお話がしたかったのだけど、
たまに出てくる「私の中のシャイな部分」が前面に出てしまい、
結局、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去った。
あの時、一言でも話しかけていれば.......。
って、何故だかずーっとずーっと後悔していた。

彼の名前を知ったのは、90年代半ばくらいに、
TV Brosを毎週欠かさず購読していた頃だった。
連載されているライターのうちの一人だったけれど、
私が興味あるものばかりを書いていて、そのうち熟読するようになり、
そのうち彼の事を勝手に、「私の先生」だと思っていた。

とにかく、色んなカルチャーを吸収しまくっていた20代の私にとって、
いつもその先にあるのは彼の存在だった。

いつだったかもうよく憶えていないのだけれど(多分20代半ばくらい?)、
彼は福岡のイムズという所で、セミナーを主催していて、
私はすごくすごく行きたかったのだけど、
その時、土日は絶対休めない仕事をしていた為、参加する事が出来なかった。
(私の親友は参加していたのでよく情報を聞いていた)

ただ、一度だけ、そのセミナーの後半にスペシャル・ゲストとして、
アートディレクターの信藤三雄さんがお見えになった時に、
このセミナーに初めて参加出来た事の嬉しさを未だに心に深く憶えている。
多分、彼に初めてお会い出来たのはその時だった。

私が大好きなミュージシャン、アーティスト、映画監督、文化は、
全て彼から発信されたもの。
ディヴィッド・リンチ、セルジュ・ゲンズブール、スチャダラパー、藤原ヒロシ、
エトセトラエトセトラ........。

私と同年代のポップ・カルチャーを歩んできた人にとって、
彼は英雄であり憧れであり、そして先生だった。

直接お話した事は多分何回かあったと思うけれど、
きっと彼は私の事は知らない。

でも、間に人を介して、実はとてもとても近かった。
もうすこし時間があったら、きっと、彼も私の事を知っていたと思う。
何故だかそう思う。

彼のお別れ会でのヤンさんの演奏がとても優しくて素晴らしくて、
その音を聴きながら、あの日話しかけられなかった事を心に包み込んだ。






かちどき橋を渡る度、これまでもこれからも彼の事を思い出す。



「人間の死は2回ある。
一つは、肉体的な死。
もう一つは、人々の記憶から消えたとき。
 確か、メキシコの古い言い伝えに、そういう意味の言葉があったと記憶します。
 江戸アケミさん、ギムラくん、青木達之くん......そして自分の父。
 僕は彼らが天国へ行ってから、彼らから多くの事を学んだ。」
 2010年2月13日 氏のtwitterより



xxx


2 comments:

  1. 川勝さんの死から毎日blog更新を始めた。
    なんでかそうしたかったんだよね。

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  2. >cubismograficoさま
    そうだと、わかってたよ。
    毎日続けるのは大変だけど、とても楽しみにしています。

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